「Kyoto no machi de matte ita kedo」。秋の夕暮れ、京都の路地裏で待ち続けたあの頃。風鈴の音が木葉と混ざり、あなたが帰ってくる足音を、何度も耳を澄ませた。羅馬音の「machi de」の「de」が少し伸びるように歌われるのを聞く度、あの路地の冷たさが足の先まで伝わる。「Yubisaki ga tsumetaku natte mo」——手の指先が凍えても、捨てきれなかった期待が、今でもこの羅馬字の並びに詰まっている。
「Mou modorenai to wakatteiru no ni」。最も辛いのは、この一文だ。「mou」の切り口が鋭く、「wakatteiru」の語尾がゆっくりと崩れていくような調子で。わかっているのに、わかっているのに。あの日、駅のホームで背中を向けた時、あなたの声が「行かないで」だったのか、「さようなら」だったのか、今では記憶が曖昧だ。でもこの羅馬音は、はっきりとその時の胸の痛みを残している。「Koe o kikasete hoshii」——あの時、本当はもう一度、声を聞きたかったのだろう。
曲の最後、「Aoi sora ni tazune teru」が繰り返される。青い空に向かって問いかけるように、羅馬音の「tazune teru」が宙に浮いている。あの頃二人で見上げた空は、今も同じように青いのだろうか。でもその青さが、もうどこにも探せない。思い出す度につらくなるのは、この羅馬音が、失ったものを正確に、痛いほど蘇らせるからだ。
プレーヤーが止まるまで、ただ静かに座っていた。部屋の埃がまだ舞っている。「Omoidasu tabi ni tsuraku naru」——歌詞の最後の羅馬音が、今も心の中で低く鳴り続けている。
